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濾過

わかりきった言葉に耳を塞いでる

諦めとは呼ばないが諦めてる

形を変えて僕ら手放してゆく

話が合わないのは僕のせいだった

生きるための労働で年老いて

夢のための時間を切り崩して

疲れ切った頭で考えるのはそりゃ当然楽になること

追いかけるから辛いことに気づいて

いつしか諦めることに傾いて

生きることすらままならないんだ

先の欠けた夢の欠片


希望なんて気休めだと気づいたり

納得しながらなんとなく過ごしたり

明らかに何かが違うあの頃とは

覚悟ならとうの昔に決めたはずだろ?


泣き言吐かないように振り切って

心配しなくていいよ笑ってて

得体の知れない期待が肥大して

現実がより深くなってく


どれだけ間に受けて立ち向かっても

絶え間なく次の悪魔が手招きして

そんな言葉は聞き飽きたんだ

俺を殺すには弱いぜ

絶望なんかじゃとまれないんだ


希望なんかじゃ輝けないんだ

少しでもこの命燃えるなら

それが次の歌にかわる





新しく曲を書きました。

曲を書きます俺は。いつだって。

なんで書くのかももうほとんど説明できないくらい日常的に書いているので

まぁ、音楽やってるからそりゃ書くでしょ。って感じで書いてます。

そこに生みの苦しみみたいなわかりやすいストーリーもなければ、尊い理由も別にありません。

ただ、思うから歌いたくて、歌うのは曲なので曲を書くまでです。


最近自分にも人にも思うことがあって

納得とか理解とかしながら進んでいくことって半ば諦めにも近い何かがあるな。なんて思ったりするのです。

いつの間にかなんだか聞き分けも良くなってしまって、というかめんどくさいことになるのがめんどくさいから

自分が手を下さないでも進んでいくことは勝手に進んでいってくれればいいや。

みたいなところが大きくなってきて、おかげで日常にストレスは少ないし、明確にやることも見えているけれど

なんだか確かにあの頃とは違うな今の自分は。なんて思ったりもするわけです。

もう、いろんなものが自分を形作ってしまっていて、ある程度何かも持っていたりして

その何かのおかげで生活だって別にできてしまっていて。

そこに疑問があるわけではなくて、真のクリエイティブというか創作において自分の心の真芯を捕らえることみたいな

ファンタジーにも近い(なぜなら心の真芯なんてものは自分ではわからないからである)願いにもにた感覚で潜っていくことも

少なくなったな。と思うわけです。


こうやって時々自分の心を濾過してフィルターに引っかかったゴミみたいな物を眺めながら

ぼんやりと考えを巡らせることでわからなかったことが分かったりもする。


ずっとずっと音楽をやっていて難しいことは、社会とか市場との距離感。

それはもう全ミュージシャンが感じることだと思う。


最近まで自分は、音楽というのも経済の一部に組み込まれていると思っていたのだけれど

経済という言葉はもっとぼんやりとした概念であって、実際のところはとある音楽にまつわる市場がそこにあるというだけで

その市場というものを把握しながらうまくやっていける人たちのことを少し勘違いしていた節があるなということに気づいた。


自分が音楽をやっていて、例えば誰か他のアーティストが売れていく瞬間というものも幾度となく見てきた。

その瞬間、たった数日から数ヶ月の間に起こることといえば「納得」なのである。

どの角度から自分のこれからやっていくことにうまく納得するか。

どう納得した上で進んでいくか。ということを早い段階で決断できた人から順に市場を築いて経済的な不足を満たしていったように思う。

そして、その納得というものには屈服ににたニュアンスの諦めがあるように自分は感じていた。

少なくとも、自分はどの角度からも屈服のニュアンスを持たない納得を見つけることはできなかった。

その納得にはいろんな種類がある。

「売れてから好きなことをやればいい」

とか

「たくさんの人に聴いてもらわないと意味がない。」

とか、他にもパターンはあるけれど、よく言われる納得の定石は自分に取っては納得というよりは論点が違うな。という感覚だった。

そして、実は今も結構そういう風に思っている節はある。

自分は音楽というものを信じすぎてしまっているのだ。

神様を信じて宗教を信仰しているようなもので、神様を汚すことは許されないのである。

だが、宗教の役割は信仰だけでは無い。

やはり、社会を運営するシステムとしての側面もあって、その側面を理解した人間は宗教をまた違った角度から見ることができて

信者をうまく先導するだろう。

そもそもの前提が違うのだ。

実は神様なんていうものは人が作ったもので、そのシステムを理解した上で信者を先導しなさいと言われでも自分はできない。

それができれば家族を養うこともできる。と言われてもしっくりこない。

それは神を信じてしまっているからだ。

自分はずっとそこから抜け出せないでいる。

サンタクロースを信じていたい子供と同じだ。

いずれ大人になってサンタクロースの真実を知って次は演じなければいけないというのに。

自分はずっとサンタクロースを待っているのだ。


そんなことを頭でわかりながら、それでも音楽の不思議な力はいつだって自分の中や周りに溢れている。

本当のことはどこにあるのだろうか。自分が感じているこの音楽の力は決して作為的なものでは無い。


だから、日々、書くのだ。

心に音楽が触れてそれが見せてくれるいろんな景色を知っているから書くのだ。

自分は自分の音楽を信仰している。

自分にとっての神様が、サンタクロースが、どこかで生きていて奇跡を起こしている。

そんな風にまだ思っている。というか死ぬまで思っているだろう。

俺はずっと感動していたい。音楽に。

感動させたいよりも感動したいがどうしても強い。

だから市場を築くのはとても下手くそだ。

だけど、俺の音楽はまだ屈服していない。

そんな幼稚でわがままな俺にしか歌えない歌があるのだ。


なーんてね


さーねよう。

おやすみ!


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